ホームページはフィードではなく、場所であるべき理由
別のRSSリーダーやダッシュボードではなく、Feed Boxを作った理由について。
長年、iGoogleの代わりになるものを、私は見つけられずにいました。
これは、別のRSSリーダーが欲しかったわけではありません。iGoogleが消えた後もRSSリーダーは存在し続け、その多くはiGoogleよりもずっと洗練されたものになりました。
しかし、それでも私の問題は解決しませんでした。
長い間、ブラウザのホームページに何を置くべきか、私は決められずにいました。
検索ページ、白紙のページ、ブックマーク、ダッシュボード、新規タブ用の拡張機能。いろいろ試しましたが、どれも毎日戻ってきたいと思える場所にはなりませんでした。
やがて気付いたのは、自分がiGoogleについて恋しく思っていたのは、特定のウィジェットではなかったということです。
恋しかったのは、情報が「場所」を持てるという発想そのものでした。
問題はRSSではなかった
今日の情報インターフェースの多くは、ストリームを中心に設計されています。
SNSはストリームです。ニュースアプリもストリームです。多くのRSSリーダーもストリームです。
スクロールする。
何かが現れ、それを見て、新しい情報が来るとそれは流れて消えていく。
レコメンドアルゴリズムは、これをさらに強めます。情報の順序を決めるだけではありません。どの情報が視界に入るかということ自体に、次第に影響を与えるようになっています。
それは便利なことかもしれません。
しかし、便利さと理解は、必ずしも同じものではありません。
システムが「関心を持ちそうだ」と予測したものばかりを繰り返し見せられていると、自分でも気付かないうちに、ある物事への視野が狭くなっていくリスクがあります。
私は、情報との違う関係を求めていました。
情報源は、自分で選びたかった。
そして一度選んだら、それを自分が置いた場所にとどめておきたかった。
それが、Feed Boxになりました。
タイムラインではなく、場所が欲しかった
Feed Boxは、iGoogleとともに失ったものを再構築しようとする試みとして始まりました。自分が意図的に選んだ情報源だけで作る、ブラウザのホームページです。
基本のインターフェースは、意図的にシンプルです。
3列のカラムがあります。
それぞれの情報源が、1つのボックスを占めます。
ボックスは、自分が置いた場所にとどまります。
新しい記事が来ても、情報源が上に移動することはありません。未読数が多くても、それが重要度を上げることはありません。取得エラーが起きても、ページの上位に昇格することはありません。
情報の状態は変わることがあります。
その場所は、変わりません。
この区別は、当初思っていたよりもずっと重要なものになりました。
私はこのインターフェースを、フィードというよりも、机や本棚、地図のようなものとして考えるようになりました。
本棚は、一度に見える範囲を超えて広がることができます。それでも、本がだいたいどこにあるかが分からなくなることはありません。
空間の記憶を壊すのは、スクロールそのものではありません。
並び替えです。
同じ情報源がいつも同じ場所にあれば、次第に探さなくなります。ただそこを見るだけになります。
だからこそFeed Boxは、新しさ・人気・未読・重要度とされるものによって情報を自動的に並べ替えることを、意図的に避けています。
システムは、状態を報告するだけです。
優先順位を決めるのは、システムの役目ではありません。
密度は敵ではない
これは、Feed Boxが今どきのWebインターフェースと比べて、なぜあれほど密度が高く見えるのかも説明します。
大きなカード、余裕のある余白、サムネイル、記事の要約、あらゆる情報を飾り立てる装飾。そうしたものは欲しくありませんでした。
一度に多くの情報源を見たかったのです。
この種のインターフェースにおいて、密度は修正すべき欠陥ではありません。密度は機能そのものの一部です。
課題は、情報量を減らすことではありません。
密度の高い情報に、すばやく理解できるだけの構造を与えることです。
これが、私が何度もiGoogleのことを思い返す理由のひとつです。
今のインターフェースの慣習に照らせば、iGoogleは美しくはありませんでした。
しかし、今の多くのダッシュボードが忘れてしまったように見えることを、iGoogleは理解していました。ホームページは、注目を奪い合うカードの連なりではなく、情報を映す面になれるということです。
読むことは、情報の終わりではない
もう一つ、解決したい問題がありました。
役に立つものを見つけることと、そこから学ぶことは、同じではありません。
興味深い記事を読み、タブを閉じ、1ヶ月後にはなぜそれが重要だと思ったのか、ほとんど覚えていない。そんなことがよくあります。
そこで、Feed BoxからObsidianへ直接つながる経路を作りました。
残しておきたい記事を見つけたら、Daily Noteへ送ることができます。それを保存した短い理由も、あわせて記録できます。
その小さな入力欄が、自分にとって重要です。
URLは、何を保存したかを教えてくれます。
理由は、その瞬間になぜそれが重要だと思ったのかを教えてくれます。
ワークフローは、こうなります。
観察する。
選ぶ。
保存する。
つなげる。
Feed Boxは、情報が動き続ける場所です。Obsidianは、選び取られた情報が文脈を蓄積し始める場所です。
時間が経つと、ある観察が別の観察とつながっていきます。ソフトウェア設計について保存したことが、後になって写真、AI、情報設計、あるいは自分自身の開発の話とつながることもあります。
価値は、単に2つの記事を保存したということではありません。
価値は、いずれその2つの間の関係が見えてくることです。
これが、Feed Boxにすべてを要約させたくない理由でもあります。
何が重要かを判断すること自体が、作業の一部なのです。
ホームページは、ニュース以上のものを映せる
Feed Boxを単なるRSSリーダーではなく「場所」として理解してから、他のウィジェットも意味を持つようになりました。
小さなNEXTウィジェットを追加しました。
これは、意図的にタスク管理ツールではありません。
プロジェクトも、締切も、タグも、繰り返しタスクも、通知も、生産性システムも一切ありません。
答えるのは、ひとつの問いだけです。
次に、自分は何をするのか?
これは想像以上に役立ちました。作業を止めた場所について短いメモを残しておけば、次にブラウザを開いたときすぐにそれが見えます。
それから、世界時計と為替レートを追加しました。
LIVE WINDOWも追加しました。ライブ映像を通じて、固定された観測地点を映すものです。
そして、TIMEを追加しました。
TIMEが示すのは、通常の生産性ダッシュボードがほとんど有用な情報として扱わないものです。日付、元号、太陽の位置、その年がどれだけ進んだか、そして未来のある日までの距離。
これらは通知ではありません。
行動を求めてきません。
ただ、自分が今どこにいるかを教えてくれるだけです。
この違いが、重要なものになりました。
多くのソフトウェアは、反応を求めるイベントを中心に設計されています。メッセージが届いた、タスクの期限が過ぎた、価格が変わった、誰かが何かを投稿した。
しかし世界には、自分に何も求めてこない情報もあります。
太陽には、位置があります。
一年は、ある分だけ進んでいます。
どこか別の場所では、朝を迎えています。
ライブカメラは、今も同じ場所を映し続けています。
ときどき、ホームページにはそれだけを映してほしいと思うのです。
余った空間に、もう一つウィジェットを置く必要はなかった
インターフェースが形になっていく中で、もう一つ奇妙な問いが浮かびました。
残った空間には、何を置くべきか。
ダッシュボード設計での当然の答えは、そこにもっと情報を置くことです。
私は、そうしませんでした。
代わりに、そこにResidentを置きました。
Residentは、ほとんど何もしません。
未使用の空間を占め、たまに動き、いくつかの状態には反応しますが、情報を隠したり、注意を引いたりはしません。動きは意図的に少なく設計されています。
生産性としての価値は、ありません。
だからこそ、それが欲しかったのです。
情報密度が高いことと、使えるピクセルすべてを情報で埋めることは、同じではありません。
本物の机には、書類や道具、メモ、画面が並んでいても、その間に小さな観葉植物が置かれていることがあります。
その植物は、情報設計を改善はしません。
しかし、その場所の性格を変えます。
それが、Residentに担ってほしかった役割です。
Feed Boxは、毎日戻ってくる場所であるはずのものです。
場所には、データとして自分を正当化する必要のないものが含まれていていいのです。
ホームページを、作り直す
振り返ると、これが、自分が長い間「iGoogle難民」でいた理由だと思います。
私は、代わりになる製品を探していました。
しかし本当に恋しかったのは、情報のモデルのほうでした。
アルゴリズムで最適化されたストリームは、欲しくありませんでした。
もう一つの無限リストも、欲しくありませんでした。
何が注目に値するかを決めるダッシュボードも、欲しくありませんでした。
欲しかったのは、自分で情報源を選び、それがどこにあるかを覚え、何が変わったかに気付き、何を持ち越す価値があるかを自分で決められる、安定した面でした。
RSSは、たまたまそのために役立つものでした。
Obsidianは、たまたまその先で役立つものでした。
世界時計、太陽の光、ライブウィンドウ、そして小さなResidentは、たまたまその面を自分だけの場所らしくしてくれるものでした。
Feed Boxは、その結果です。
iGoogleを正確に再現しようとしたわけではありません。
これは、iGoogleとともに消えたと思うものを取り戻そうとする試みです。
ブラウザのホームページは、それを使う人自身のものであっていい、という発想です。